盆休みの雑記

我が家族の8050問題の原因の浅薄さには驚くことばかりであるが、現実であるから仕方がない。
私の根本に、この問題が大きく横たわっている以上、目を逸らすわけにはいかないのだ。両親の弟妹のいずれも精神疾患によって人生を台無しにされ、もはや誰かの庇護が無ければ生きていけないほど、白痴になってしまった。祖母が亡き後、私がそのうちの一人である叔母の面倒を見ている。まったくもって負担でしかなく、遺品整理はもとより、葬儀の段取り、保険の手続き、盆の準備などは、この私が請け負う形になり、身動きが取れない。
段取りをつけて、台湾、インド、ミャンマー、モロッコ、ジャマイカ、イギリス、フランス、ロシアなど、行ってみたい諸外国への渡航もこれではままならず、折角パスポートまでとったのにと、意気消沈な日々を過ごす羽目になった。
さて、祖母の遺品整理をしているうちに、偶然に叔母の日記を見つかり、悪いことだとは百も承知で、一体この30年近く叔母が患っている双極性障害の原因は一体なんぞやと好奇心に駆られて読んでみた。すると、内容の幼稚さに呆れるばかりで読んでいるこちらが頭が痛くなる内容ばかりであった。
祖母が要介護になって以来、私が家事全般をやっていことを裏打ちするかのように、日記には家事などやった形跡はほとんど無く、たまに洗濯や炊事、掃除の手伝いをした程度のものの記述で、呆れてものも言えなかった。何が介護家族だよ?これではガキの使いやないか?買い物で買ってきたものについても同様で、自身の趣味や趣向にあったものしか調達しておらず、祖父母が哀れで敵わなかった。その費用は祖父がなれぬ仕事で得た収入からほとんど出ているのだ。実に報われない愛情であったと、祖父の苦労を改めて思うた。
叔母は洗濯機や炊飯器の操作方法や使い方、冷蔵庫に防臭剤を入れることすら知らなかったのだ、これは当然といえば当然であるが、次に驚いたのは、暇を持て余したのか、近所の喫茶店、しかもこの店はチェーン店で、主にバイトが店を回しているところであるが、そこにバレンタインデーに手作りチョコレートを持って行った記述があった。しかし、単に顔見知り程度の客がそんなことをしたら、店員には遠慮がられるか気味悪がられるだけである。無論、叔母はそれには無頓着で、受け取って貰えたと嬉々として日記に書き込んでいた。ただ、それはその場をやり過ごしたいという店員の気持もあったろうにと、この叔母の幼稚さには呆れ返ってしまった。
自身の病気についても、担当の精神科医にべったり頼りっきりで自身の病を治す気など日記からは全く読み取れず、精神医学からみても、デタラメなことばかり書いてあった。担当医もいい加減匙を投げたのだろう、医者は適当に励ましたりべんちゃらしているだけのことを言っているだけなのに、えらく意思を褒めちぎっている記載もあった。馬鹿げた診察、こう言うしかなかった。医師も医師で、叔母に双極性障害の弊害や投薬の理解を深めることなどしていることもなく、日記と同時に見つかった診断書には、投薬治療のみで事は足りると書いてあった。薬の量といい、このような治療への無関心といい、明らかに処方の診療報酬目的の診断といってもいい内容であった。
他には、祖母を殴ったことへの言い訳をノートの3ページ以上にわたって書き、「お母さんの愛情が不足していたからこうなったのだ」と、締めくくっていた。また飼い猫の世話すらろくにしないと祖母が叔母を注意したことで傷ついたといって、躁転したのか、家を飛び出し高額な絵画や食器などを買い漁っていたりと、周囲には迷惑千万なエピソードばかり、日記には書き込まれていた。
よくもまあ、30年近く、こんな叔母に耐えてきたのかと、祖父母に同情したいところではあったが、なんでこうなる前に適切な医療処置を施さなかったのか不思議でならなかった。
何度も祖母に生前、私は生意気ながらも、「双極性障害は病識がないから、本人がいないところで、担当医に会って話をした方がええんとちがうか?」と意見したことがあったが、年老いた祖母は、これを「世間体があって出来なんだ」といって、「それでもこの年寄りに付き添うことはそう出来へんよお」と叔母を弁護していた。なんてことはない、世間体を気にして、この状況を誰にも打ち明けることはなく、叔母の双極性障害に関しては社会から完全に孤立し、祖母と叔母は共依存していたのだった。死者への悪口は冒涜と人は言うが、私はあえて言おう、祖父母は報われないことと知りながら叔母を甘やかした結果、本人は軽いリウマチですら克服する気力もない幼稚さを増長させたまま、無為な時間を過ごしてしまったのだ。人生をこんなことで無駄にするとはまったくもって馬鹿げている。
体を動かそうとせずに肥満体になった叔母は、自力では立ち上がれず、そこにリウマチが加わり、もはや、誰かの庇護がないと生きてはいけないのだ。この人の人生はどうしてこうなったのか、原因は明らかであった。困難から逃げた結果に過ぎない。自身の双極性障害に対する認識の甘さといい、誰かが救ってくれるという甘ったれた態度といい、それら自身の甘えや舐めた態度を弁解するような記述が、右のエピソードを交えて大学ノート15冊分びっしりと書かれていた。呆れてしまった。これが年長者の態度かと。愛すべきものなど到底見つからず、親子でなければ、誰もが無視する存在であろう。しかし市は精神障害を理由に障害者年金を叔母に支払い、ある程度の生活を保障しているのだ。全く意味がわからない。
もう後戻りはできない。60歳になった叔母に成長することなど期待できるはずもなく、残された叔母の人生は暗澹たるものになろう。
私はそれに付き合う気なんて更々ないのだが、私に相続された家に叔母がいるため面倒を見なくてはいけない、この受難から逃れるべく、今、私は遺産放棄も考えている。
もし8050問題で頭を悩ましている人がいれば、「即刻本人を適切な医療機関(大抵の場合は単科精神科病院)への受診を勧め、地域包括支援センターに相談すること、そして、必要があれば、本人の意思を無視してでも施設への入所の手続きを一方的に進めること」を私はお勧めする。それは家族の手に負えない問題であることが多いためである。 

  そして私もそれに取り組んでいる最中である。