日本維新の会の躍進に関すること。

 国民民主党とれいわ新選組が、先進国で唯一日本だけが停滞している実質賃金や税と社会保障の負担がもたらす可処分所得の減退などといった貧困問題への解決に向けて、具体的な道筋のついた政策を立案して選挙に臨み、僅かではあったものの、議席数を伸ばしたのは、既存政党の力が強く影響の出る小選挙区制において、快挙といっていい。これこそが本来の民意の反映である。
 一方、人材派遣会社大手パソナの取締役会長である竹中平蔵や、自助ばかり強調して総理大臣在任中はコロナ禍で困窮する国民を一切救おうとしなかった菅義偉、戦前は満州アヘン利権、戦後は公営ギャンブルの利権を貪っている日本財団の笹川家、時代遅れのコンテンツしか作れない癖して中抜きだけは大胆な世界最大手の広告代理店電通などのグローバリストたちが影で操っている日本維新の会の躍進は非常に危険だ。大阪で行った多くの悪政が日本全国に拡大する恐れがある。在阪メディアは維新の会を依怙贔屓と思われるぐらいに批判も碌にせずに甘やかしている。
 たしかに維新の会のメディア戦略がうまいのが今回の躍進の理由だろうが、しかし、大阪府はコロナ対応に大きく失敗して今や日本で一番死者数が多く、予算削減の影響で、公立病院ではコロナ対応できる病床が日本で一番足りないのに、大阪では維新の会をやたらと救世主の如く持ち上げている。
「大阪には維新の会があって、彼らがこれまでの問題を解決している。今はまだその完成がなされていないだけで、これから改革がより進めば、きっとうまくいく」
 私からすると情勢に無頓着で自ら無知を晒すような、こんな声を大阪に行くたびに至る所で聞いたものだ。
 この不可思議な現象は、認知的不協和というべきもので、目の前の現実と認識とがあまりにもかけ離れている。
 まさにヒトラーがモスクワ侵攻に失敗した後、実際の情勢を国民に伝えることなく、宣伝工作でユダヤ人や精神障害者などの社会的弱者に国民のルサンチマン(鬱積した怒り)を先鋭化させたうえで差し向けて、ドイツ軍がソ連軍に巻き返されていることから多くの目を逸らした時代とまんまそっくりだ。「国の発展を邪魔する人間がヨーロッパ大陸にいるからこそ、ナチスの作戦がうまくいかなかった」と、どんどん弱者を設定していった、これと維新の会の世論工作がどうも被って見えて仕方ない。
 公務員を叩き、組合を叩き、医療関係者を叩き、自民党大阪府連を叩き、次から次へと攻撃対象を変えていく、ほんと一貫性のない連中で、自分たちの権力基盤が強力になるためなら、味方すら攻撃しかねないこの維新の会のやり方をみると、彼らは全体主義集団と言ってもいいのではなかろうか。
 言論の自由が保障されているこの日本で、ナチス中国共産党ソ連共産党に匹敵するような情報操作と隠蔽が行われているかもしれないと思うくらい、大阪でのこの維新の会の躍進は明らかに不自然である。これが日本全体に拡がるとなったとき、言論の自由は果たしてどうなるのかと思うと、背筋が凍ってしまう思いだ。全体主義の到来が民主主義の正式な手続きの中で生まれていく過程をこの現代に見ているようで本当に戦慄しか覚えない。
 取り返しのつかないことにならぬように、早いこと、その芽を潰す必要があるが、維新の会の危険性に気づいている人はどの程度いるのだろう。15年前はそんな人間はほとんど居なかったし、もし橋下徹氏に歯向かうようなことを言おうものなら、職場でも学校でも人間扱いさえされなかった。それぐらいに、みんな、維新の会に夢中だった。
「橋下さん、ええ仕事をしてはりますな」
 当時、そんな声が至るところで聞かれ、彼のやり方に反対する者は憎むべき既得権益者として排除されていった。
 しかし今では積極財政と公的部門の重要性、IR(通称、カジノ誘致)や都構想の危険性を大っぴらに言えることからも、この維新の会の危険性に気づいている人は当時よりは多いかとは思うが、どうであろう。今回の選挙結果からして15年前とあまりに変わってはいないであろうか。
 また、この維新の会がもし自公と連立して与党にでもなったら、大阪のみならず、日本全体が主に中国共産党の草刈り場になる。現在、心斎橋や日本橋、難波などのミナミの町が徐々に中国資本に乗っ取られているのを見て、まだ維新の会が保守派だと多くの人たちに思われているのが、本当に理解に苦しむ。保守派とは、本来、日本人の生活を守り、他国の侵略を阻止する人たちのことを言うのに、大阪では、インフラや土地、水資源などの資産を、他国に売り渡し、言葉巧みに失政を隠蔽して住民を騙し、自分たちの利権を新たに作ってそれを貪ることが、保守派ということになるらしい。
 一年前の大阪都構想(実際は政令指定都市である大阪市を廃止して、その莫大な財源を府がぶん取るというとんでもない構想。これにより大阪市だった区域の行政サービスは一挙に低下する上に、大阪のみならず、関西圏全域の経済成長を大きく抑制するもの)の住民投票で、その実現を阻止した日本共産党、れいわ新選組のほうが、よっぽど彼らよりも保守派ではないか。
 言葉の定義の乱れと捻れで認識が歪められた結果、住民自ら、維新を支持することで自身の生活を苦しめていることにも気づかずにいる。まるでジョージオーウェルが著作1984で描いた全体主義社会のようだ。1984の世界の住民も、誰に支配され、誰に思想と行動を管理されているか、知らないのだ。そしてそのことを彼らもまた幸福とも不幸とも思わない。それが当たり前なのだ。
 今回の維新の躍進で、かつての文化都市大坂の面影がこのように一切消し去ってしまったように思われて、個人的には非常に哀しく侘しい。
「身を切る改革がまだ本格化していない。改革が足りない」
と、今回当選した維新の会の議員が白痴のように国会で叫ぶのであろう。
「その身ィって誰のなん?まさか、それ、うちらの身ィちゃうやろな?」
 こう突っ込む人がもっと増えることを切実に祈る。彼らは、結果が悪いと自責の念など持たず、まだ改革が足りないとしか言わないので、議論なんてとてもできない。そもそも議論なんて高尚なそんなことする気も多分ないだろう。彼らは数で勝って決定権を握りたいだけの烏合の衆なので、論理的に突っ込めば、地蔵みたいに黙るかキレた猿みたいに威嚇するかのどちらかだろう。こんな軽薄で空虚で、頭が文字通りクルクルパーな連中が政治の表舞台にいる異常事態、日本の没落の前兆を私はこの日本維新の会の躍進に見る。