祖母が亡くなった後、代わって私が叔母の面倒をみることになった。
膨大な遺品整理をしながら、双極性障害の叔母の面倒をみるのは容易ではない。
病識がないというのがこの双極性障害の特徴で、殊の外、これが今の生活の足かせとなっている。何せ自分が病気であり異常であるという認識を持たないものだから、自身の奇怪な言動に疑問を持つことなく、日々を暮らす。
糞尿垂れ流しでも構わない、罵詈雑言を他人に浴びせても平気、車椅子で往来に出て通行する車や歩行者を妨害するのにも無頓着、一言で言えば、迷惑な存在である。
ここまで叔母がたわけだったとは知らなんだ。
また、彼女の言うことが気分の上下に伴いコロコロと絶えず変わる。
「在宅で私は自立に向けてリハビリをする」と言った翌日には、「在宅では自立は無理だ、やはり、施設に入ってからでないと…」一体、彼女の本心がどこにあるのか掴めない。現時点で確かなのは、観念放逸の頻繁さと、鬱と躁状態を短時間に交互に繰り返す混合状態の度合いから見て、双極性障害の方が、持病のリウマチに比べて遥かに重いことである。
どうすれば、この叔母を強制的に、本人の意思関係なく施設送りにできるのかを、私は常に考える。しかし、行政も医療も、本人の意思を楯に梃子でも動かあへん。こりゃあ、えらいことやぞと独りごちている有様。
そんな日常の中でも月日は経つもので、先月末に祖母の四十九日を済ませた。相続の件で父親と妥協点を見出すべく、叔母を蚊帳の外に出して、話し合った。そして家のことで一切の管理を任された私、結局のところ、自分の時間すら持てなくなってしまっている。
ここのところ、大阪に赴くことさえかなわず、台湾の烏來に住んでいる縁戚に義理も果たせず、果たして、私はこのクソみたいな環境から脱却できるのか?
32にして持ち家を持ったものの、その重みとやらを想像よりも重く感じている次第であります。
「コーヒー飲みたいんだ、私はさあ」
階下で叔母が叫ぶ声が聞こえておりますので、では、このへんで。