中流意識から派生する問題について

私が中流意識に馴染めない人間と気づいたのは、大学に入ってすぐのことだった。
  学校に行けば、どうも皆他人行儀で、親近感も持てないし、行ったら行ったで、何処と無く世間の空気に流されている感じがして嫌になってくる。やがて疎外感だけが強くなる感覚ばかりが残って、ますます学校には行かなくなっていく。
  その結果、留年に次ぐ留年で社会には到底受け入れられないとて、風俗店の受付で見栄えもしない男の性欲のため、身を粉にして働いて、あれよあれよと、流転の様。
「〇〇ちゃんは、今ですね、運良くすぐの時間帯で空いてるんですよ。どうですか?サービスもいいって評判なんすよ。」
  とても指名客も付きそうにない女の不細工な容姿を誤魔化しているパネル写真を客に見せ、後にパネマジやないけえと言われぬように注意して接客するくだらない生活で得たものは、結局、金しかない。
  そのおかげですっかり虚栄心も無くなり、本来の下町気質の性格を徐々にでは取り戻せたから有難い。もともと私にはホワイトカラーのような頭脳労働など向いていないのだ。もともと下町の気性の荒い職人の血を引く癖して、スーツを着込んで仕事をするなんて性に合わないのだ。
  学校にしても、大したことも教えてもらえないところにいたとて、何もならず、さらに言えば、デフレで実質賃金が下落する中で、いくら頑張っても得られる報酬には限られていると分かれば、やる気だってなくなる。仮にビジネスで成功したとて、全体のパイが縮少しているためにそれは結局他人の所得を奪っていることになるのだ。
  つまり現在は競争が余りに激しく、自身の特性を切磋琢磨する余裕もない。そのため、結局価格ありきで勝負に決着がつく構造に現代社会はなっている。こうしたことが何となく子供の頃からわかっていたが故に、年々私の気力は削がれていった。
  高校の最後1年間だけ勉強とやらを頑張ってはみたものの、結局、行き着く先が、大学という、凡庸で退屈で無機質な世界だったのだ。これで何のために頑張ってきたのかさっぱりわからず、ヴォガネットの小説のように、お陰で頭がドッカーンとやられ、危うく精神分裂に陥るところだった。私は酷い無気力になり、何もする気になれず、やたらと街を徘徊を繰り返し、悪いことばかり想像して、ブツブツうわ言を言っては、途中であった女に怪しい病気をもらったりした。


  まだこれでもいい方なのだ。本当の精神分裂となると、話は違う。
  ゴミ屋敷と化したアパートの一室で、一人、生ゴミに集る蝿たちと会話し、その上、風呂も数日入らず、垢まみれ。家賃、公共料金などの延滞があって、初めて連帯責任者の両親に連絡が行き、この状態が発覚する。こういう経過を辿る一人暮らしの大学生、社会人は、実のところ多い。彼らの末路は、就職も自立もロクにできずに、厄介払いしたい両親に疎まれ、最後、精神病院の隔離病棟で看護師に食事を給仕され、その上、手足の膠着から寝たきりとなり、最後は排泄も自身では行えなくなっていく。
  誤解なきように言っておく。両親だけを責めるのが得策ではない、彼らも彼らで精神病院か自立支援スクールなどの機関を利用するしか手立てがないのだ。況してや世間体を気にする中流層に至っては、第三者に助けを求めるのは困難を極める。何故って、自身がこれまで打ち立ててきた経歴、社会的地位などを考えれば、汚点を残すやもしれない精神分裂の子供のことを口外すれば、どのような目で世間から見られるかと怯えても当然だからだ。
  分断された社会、具体的にいうと、核家族化した社会では、問題一つとってもその対応はごく限られた家族内でしか為されない。ところが、精神分裂ではそうはいかない。医者以外にも、地域社会、介護福祉、さらには親戚の力も必要になってくることがある。そうはいっても、視野の狭い人間というのは他所の家族のことを秤にかけて自身の境遇に優越感を得たいという衝動は抑えられない。自分だって優越感を得たいところなのに、精神分裂の子供のことを口外したら他人から何と言われるかと怯えてしまう。
  それゆえに現代、中流意識のある人々は自身の汚点について、それが第三者の助けを要するものであっても、口外できないし、況してや助けすら求められない。こうして問題を放置していく。
  中流意識がデフレという経済が衰退している現状にそぐわない形で長期化したことが、この問題の長期化に寄与したと考えると、本質は見えてくる。しかし、その観点から見ても、この問題には既に有効な処方箋はなく、長期にわたって精神分裂の人たちに公的補助をするより他はないが、しかし、低賃金の単身世帯の負担は大きく、不満も出てくる。
「なんで、あんな中年のう○こ製造機のために、俺たちの税金が使われるんだ?」
  といった次第で、最早、社会全体が、無気力、恨み辛み嫉みをますます助長していく。その結果、NHKから国民を守る党日本維新の会などの、民衆扇動の党が議席を伸ばし、ますます世相を暗くする。
  確かに、この精神分裂の子どもの問題には、医者が無秩序に処方する向精神薬の影響もあろうが、そもそもこれだけ精神疾患が増えた背景には、間違いなく、経済をめぐる現在の窮した情勢と、それによって機能不全を起こした親子間の意思疎通がある。
  しかし、学校はそれには無頓着。金さえ入ればなんでもいい。たとえ出来の悪い野郎が入ってこようが御構い無し、入学金と年間の学費をしっかり上納してくれればよいのだ。況してや公立学校が小泉構造改革独立行政法人になってからは、その傾向に拍車がかかり、将来の不安を必要以上に学生に煽っては、オプションでこの講義とやらを受けると就職に有利だとかいって、金をさらに貢ぐように仕向ける。金欲しさに民間から講師を招いて、嘘ばかりの講義をさせて、世間擦れしていない学生を洗脳する。
「国の借金が約1100兆円あって、その返済のために、社会人として納税の義務を果たさなくてはならない」
「年々増えていく社会保障費のために、これからは消費税の増税はやむを得ない」
イノベーションのためには、組織の改変が必要だ」
  しかし、私にはそれらが嘘っぱちであったことが何となくわかっていた。というのもこれらのことを言い続けたこの20年余り世間は良くなっていないからだ。
  報道にせよ、講義にせよ、全て絵空事
  このおかげでどれだけ人々は損をしているのだろう、想像するだけでゾッとする。
  世間に蔓延る見解のどこにも具体的な数字や表は無く、ただなんと無く漠然としたイメージに基づいているのだ。
  書いていくと憂鬱になることばかりで、本当、嫌になってくる。
  で、私は何を書こうとしたのか。
  話がどんどん脱線していくこの有様、私も精神分裂しているのかもしれないな。
  おっとこんなしょうもないことを書いてたらもうこんな時間やん、そろそろ出かけよう。