空虚

  いつも本屋に行けば、飛ぶ鳥を落とす勢いで完全にハイになっている経営者か、明らかに躁状態で言動がラリっている心理学者が書いたと思しき自己啓発の本がやたらと平積みされている。私のような懐古主義な人間は、顔をしかめてそこの横を通り過ぎなくてはならない。それらの本には当座の対処方法と憐憫に浸る見苦しい著者の姿しか書いておらず、少なくとも3世代ほどの時間の流れに耐えられるものではない。トクヴィルの「アメリカの民主主義」や孔子の「論語」みたいに人間の本質を掴みきったものではなく、自説に酔っているに過ぎないのだ。そんなものに価値などなく、私には不必要なものである。
  事実、琴線に触れるものなど少ないようで、ブックオフに行けば、やたらとその手の類の本は100円で棚に放り出されているのをよく目にする。読まれては捨てられる運命にあるこれら書物は一体何のために出版されているのか、いまだに謎である。
  しかし、ダグラスマレーというイギリスのジャーナリストが書いた「西洋の自死」を読めば、その理由は朧気ながら見えてくる。
  各種哲学の脱構築化がポストモダン以後急速に進んで、今起きている問題に現代人がとても対処できないほど無能になっており、その場しのぎの考えをあたかも経典の如く吐き散らしているのだろう。それに感嘆することでしか一般の読者は満悦を得ることができないほど、精神が衰弱しているのである。目新しいものに無条件に惹かれるほど読者の認識は地に落ちたの立つ。
  しかし本質を避ける癖のある自己啓発の本の著者らは、結局、自身の提唱する価値観からでしか憐憫を得るしかなくなった。フランスの小説家ウェルベックが危険を冒してまでも包み隠さず書き記した現実に横たわるどうしようもない虚無感からは逃れているだけなのだ。
  移民による文化破壊、新自由主義による共同体の破壊と孤独、これら全てを今やウェルベック一人で世界に向けて文学を通じて表明しているようなものである。 
  昨今のフランスのデモや、イタリアの五つ星運動、イギリスのEU離脱アメリカのトランプ大統領の出現は反グローバリズムを志向する庶民の意思表明にも関わらず、相変わらずエリート層はグローバル化はすばらしいと礼賛し、未だに新自由主義的な政策を推進している。しかし、私の知る限り、彼らのお人好しで偽善的で優等生的態度が決して庶民の琴線に触れるものではないことは明らかである。トランプの言うように、メディアを含めて彼らエリート層はFakeである。
  彼らこそが文化破壊者であり、生活を脅かす存在である。
 また日本だけに限らず、主要国全体の問題として、若年層を中心に覇気が見られず、まったくもって今後の展望について不安であると老年期の人たちが愚痴を零しているを聞くにつけ、若年層をこうまで無気力で頼りないものにしてしまったのは、彼ら老年期の人々が支持した政策等の所以ではないかと皮肉を言いたくなるのは私だけではないはずだ。
  日本に限って言えば、デフレが20年以上も継続し、実質賃金は過去20年間で平均約15%も下がっている。この状況下、賃金の大幅な上昇は見込まれるはずもなく、どれだけ仕事に奮闘したとて、望まれる上昇は微々たるもので、結果を知られされるたびに情けなくなるばかりだ。つまり、一度でも出世レースから退けられた人間は、よっぽどの機会を掴まない限りは、低賃金労働に甘んじなくてはならない、これが現実である。そんな中で結婚も子育てもへったくれもない。
  かつての繁栄の残り香にまだ酔いしれたいのは分かるが、それは既に2008年のリーマンショックで終わったのだ。あれから10年も経っても尚、日本人の大半はグローバル化礼賛の気配を止める気もなく、さらに言えば、当時以上に速い変化と転換、決定を求めて焦燥すら隠しきれなくなっている。国会での早急な法案決定が何を意味するのか?それは、日本の場合は、安全保障をアメリカに任せたばっかりに。国民の了承なしに、アメリカに本社を置くグローバル企業の決定については無条件にそれに従わなくてはならないことを意味する。つまり、このまま行けば、デフレの長期化と格差の拡大、貧困層の増大、増加する移民による国家分断などで、日本国の存立すら怪しくなってくる。今ですら地域社会は瓦解し、格差は拡がるばかりなのに、さらにそれを推し進めていこうと政府はしているのである。国家の分断と国民の個別化がより一層深刻となった今の状態がさらにもっと深刻になるのだ。あなたの子供や孫の世代には、もしかすると当たり前のように享受している水道、電気、ガス、鉄道、道路等の社会インフラも使えなくなるかもしれない、そんなことになっては困るだろうに、身の回りの誰も何も言わない。
  この空白は一体何であろうか?
  単に政策の如何によってこのような状態になったのだというのは、あまりに拙速な判断であろうことは私にもわかる。それ以上の何か、現代人の思考といったところに、何かしらの変化があったのではないかと推察するのが自然ではないか?
  いくら政策一つ一つについて論じても、グローバル化礼賛社会からは、「この流れには誰も逆らえないのだ。だからこそ、それに順応する必要がある」という回答が来て、私の考えは全く無視されるのである。
  別にこれは決意表明ではないが、いずれにしても、今の会社員生活ではこの状況に対して何もできないのは確かであり、このまま今の生活を続けることが私にとって収入以外の部分で無意味であることは言うまでもない。
  当座の安定を取るか?それともそれをかなぐり捨てて言論活動をするのか?さてどうしたものか?私は今、この問題に煩悶しているのである。
  いずれにしても確かなのは、このままいくと日本は中国の属国になることである。どれだけ頑張っても悲惨な結果に終わることが分かっているのに、このまま仕事に精を出すのは実に馬鹿げたことである。