世間胸算用

 名古屋の繁華街の近くに住んでいると、人間の本質、つまり人間の欲深さ、嫉妬深さ、劣等感、癒しきれない孤独感といったものを垣間見る機会が特段多く、現代のありふれた文学作品や音楽などに見られる自我の誇示というものがいかにくだらないもので、なんら役に立たないことがはっきりわかってくる。
 元禄期、商人ばかりの大阪の場末に住んでいた井原西鶴も、人間の徳に信頼など寄せている節などなく、専ら、金子の嵩、地名、手持ちの装飾品、髪型、着物の模様、帯の太さとその柄など、やけに人の外見、財産状況、住まいといった具体的なものを出来る限り描いているように見受けられる。目でみられるものしか信じず、そこからでしか人間の本質が垣間見られないのだという余りにも徹底的で冷酷な現実主義路線には、町に住む人間として私も納得のいくものがある。
 所詮、人間は抗い難い欲にはなす術もなく、本能のままに振る舞うのは当然で、あれよあれよと堕落していくものだ。抗い難い欲を抑えることに成功することなんてまず稀だ。
 井原西鶴の作品にはこうした視点から描いた作品が多い。当時でも彼の作品が明らかに異質だったのは言うまでもない。この視点に立脚すれば、世間とは結局金次第ということが自ずと分かるものだ。人間の卑しい本質を浮き彫りにされてしまう、その恐れのために、彼を異端だのおらんだだのといって当時の人たちは蔑んだのだろう。
 誰だってチヤホヤされたいし、誰だって愛されたいし、誰だって失敗なんてしたくないし、誰だって貧乏になんてなりたくない。なんと人間は身勝手なものだろう。
 こういった人間の甘えきった卑しい本質を古代の昔から為政者は分かっていた。だからこそ制度、法体系、道徳、経済体制、教育制度、宗教などといったものを編み出して秩序だった社会の構築に努めてきた。これが文明社会ではなかろうか。
 それを理解もせず、人間の美徳というものに期待して、今の政治家や経営者が政策や方針を立案しているとしたら、たわけとしかいいようがない。
 生活がある一定の水準で安定してなければ、到底、勤勉性なんて期待できるわけはないので、生活が不安定な派遣労働者は仕事に忠誠を示すことなくだらだら仕事をして時給を出来る限り多く稼ぐようになる。そして、ミスを連発すれば、「はっ?知らね?」と澄まし顔。その結果、企業の生産性は落ちていく。それを咎めて人間の成長を馬鹿みたいに期待する経営者は、「今の若者はなっとらん」と憤慨し、発展途上国の若者を持ち上げる。全く馬鹿げた茶番である。ただ、日本人の方がデフレで外国人よりも人件費が高くつくだけなのに、精神面も含めて外国人を褒めるのだから堪ったものではない。
 これから先、安定して働いて結婚したり家庭を持ったりすることの出来る余裕すら労働者に与えないで、若者を過度に責める経営者の態度は、実に子供の無い物ねだりに過ぎない。人に期待するのであれば、裏切られることがあるにせよ、それなりの対価を支払わなくてはならないという常識すら世の大人たちは持ち合わせていないのだ。
 こうした世代間の意思疎通がままならぬ状況を放置しておけば、自ずと分かることであるが、日本の技術と産業は衰退するだろう。一度失われたものを取り返すことは容易ではない。失ってからではもう手遅れなのだ。
 彼ら経営者は努力さえすれば生活が保障されてきた時代の名残を引きずって、手前味噌な考えで恵まれた自分のことを引き合いに出して若者を一方的に責めて、更には年金をせしめようとしている。長年かけてきた技術やノウハウはどんどんと外国人に取られていくのも、
「今の若者に、こんな仕事をさせても金額が高くつくだけだ、だからいっそ、海外に拠点を移して…」と、正当化している。
 誰の目から見ても、この経営者の態度は、「ここまでのご都合主義は歴史上、まれに見るものだ」と言われても仕方のないことだろう。
 そして、近い将来、日本人の女の子の中には、自宅の軒先に座って、道行く外国人観光客を手招きして、恐らく、耐え難い苦痛をその顔に浮かべる者もあろう。
「親父が馬鹿だったおかげで、かつて人件費が安いと馬鹿にしてこき使ってた外国人に、こうして媚びを売らねば飯すらままならないってのに。このクソ親父、ふざけやがって」
 ある娘は酒焼けした声を噛み殺しながら愚痴っぽくなる。
 家の奥からは彼女の父親が咳き込む声が聞こえ、生活のために色を売る女の哀れさが一層、目に染みる。
「俺のどこが悪いんや?」
 中風で寝付き、先般の感染症で咳き込む親父は娘の身体で飯を食い、娘の介助で糞尿の始末がついているのに、なおも、自分のしでかしたことに気づいていない。
 かつて、彼は、大きな幹線道路沿いに、自動車部品の洗浄装置を製造する大きな工場を持っていたが、低賃金で雇っていた若者が癪やからと小馬鹿にし、若い外国人を日本人よりはマシだとて優遇した結果、そこで培われたノウハウと技術は外資系企業に取られた挙句、経営からも外された。

 運の悪いことは続くもので、更にその直後にやり直しの意味で自分で、設立した会社もすぐに運転資金も底をついてしまった。この顛末で無一文になったことを人に後ろ指指されたくないと、卑しさが頭を上げてきて、彼は当面の金欲しさに、空手形を振り出したが、破産を計画したことが仕入れ先などの債権者に勘繰られ、顰蹙を買い、ますます商売もままならなくなり没落したのだった。
 今では大阪は神崎川沿いの場末、詫びしく佇む長屋の一部屋を借りて寝たきりの身。かつては大手の自動車メーカーと取引していたことを娘との会話で引き合いに出したりもする。娘は、父親が何度もしてくる話に微笑みながらも、内心、「早よ、迎えが来うへんかいや」と恨み節。
 娘がまだこうして面倒を見てくれるうちはいいかもしれぬ。ただ、彼女の肚では、愛想を尽かしてここを出ていけば、保護責任者遺棄致死となり刑事事件に発展しかねず、それを恐れて耐えているだけ。彼女の胆力が本人にもいつまで続くか分からず、先行きは水のように澄み切ったものとはとても言い難い。
 もうこの親父には、既に若者を小馬鹿にして精神論を述べる資格なぞなく、せめて、その無駄に伸びた髪とひげを剃り落とし、仏道にでも入って自身を振り返ってもよかろうに、まだ世間に未練があると見え、見苦しいこと、この上なし。
 これが私が描こうとする世間胸算用の一幕であります。