コロ、コロ、コロナ

 日が暮れると、わが街のテレビ塔は、閑散とした街の寂しげな雰囲気とは対照的に、新型コロナウイルス感染拡大を警告するべく、赤や黄、白などの派手な色に彩られる。4月下旬の第一波、7月下旬の第二波の感染拡大を阻止すべく発布された緊急事態宣言が解除されてしばらく経っても、昼夜を問わず、人々は生真面目にマスクをして、建物に入るたびに積極的に入り口に設置されている消毒液で手指消毒してる。
 ものぐさで軽佻浮薄な私にはこれが異様な光景のように思えてならず、マスクなんかしないまま、町を歩き回っては退屈を持て余す。マスクをせずに出歩くことすら異常と思われかねない、これ自体、何やら作為的なものに、多くの人たちが心理的に操作されている印象を受ける。つまり、コロナが長期化すればするほど、この国が経済的に衰退している原因を、デフレにも関わらず、消費増税と防災やインフラ建設などの公共事業の大幅な削減といった緊縮財政を推し進めた政府の失政ではなく、コロナにすり替えることが容易になるからこそ、マスコミやネットでやたらと、
「コロナは怖い」「コロナは後遺症も馬鹿にならない」「若い人でもコロナに感染したらえらい目に遭う」などと、極めて稀な症例ですら大袈裟に騒ぎ立てているのではないかと、私には思えて仕方ないのだ。
 イギリスの工業都市マンチェスター出身で、若い頃にサッチャー政権の緊縮財政で散々痛めつけられてきたポップスターたちが、かつての労働者階級の感覚で、「都市のロックダウンはいらない、マスクもいらない、ワクチンなんて論外だ」と、ツイートして、ヨーロッパでは大きな話題にはなっていたが、私も彼らの意見に賛同する。
 このコロナ騒ぎの本質は、病気の脅威よりも、ディープステートの政治的かつ経済的な利益のためのもので、ある種の陰謀が背後にあるのは確実であろう。それはこのショックを利用して、更なる利益追求を行う勢力に都合のいい政策を実行に移すというものだ。スマートシティ法案はその一例といっていい。
 全ての情報をネットで共有して行政と企業が人々の生活を監視下に置く。ー今の中国社会のように、今の日本社会を改造する。例えば、現政権の批判なんかすれば、その翌日、公安警察が自宅にやってきて、人は拘束され、拷問の末、洗脳される。ー中国では、国家主席習近平の写真に墨で落書きをしたものをネットで公開して、中国共産党を批判した女性が、公安に逮捕された末、精神障害になるまで拷問を受けたことが、米国を拠点にする中華系メディアに暴露された。ーこのような社会を容易にするのが、スマートシティ法案である。
 コロナ騒ぎでリモートワークが推進されているが、その実際のところは、日本企業の機密情報を外資系のIT企業、主に中国人民解放軍がバックにあるIT企業が盗むことにあるのはもちろんのことだが、それ以上に、すべての人間関係をネット上で監視下に置くことで、日本の現政権と中国共産党英米のグローバル企業などの体制側に都合の悪い連中を排除することが目的だろう。作家ジョージオーウェル全体主義の台頭を危惧して書いた「1984」の世界、この実現がスマートシティ法で可能となる。この危険性は、水道の民営化と種子法廃止といった多国籍企業の利益にしかならない法案と同様に、コロナ騒ぎで無視されていた。参事便乗型資本主義がこれほど簡単な国は日本以外にあるであろうか。
 個人的な意見を述べるならば、このままいくと、間違いなく、日本は中国の属国になるであろう。自民党政権の中枢にいるのは、ほとんどが中国共産党の息がかかった連中であり、アメリカやヨーロッパで個人情報漏洩の危険性が指摘されているtiktokがこの日本では放置されて、今でも地上波のCMで延々と宣伝されていることからも、政治的にも経済的にも中国共産党にマスコミや政治家などの日本の権力筋がいかに侵食されているかは一目瞭然であろう。米国商務省のシンクタンクCSIS自民党の幹事長と内閣首相補佐官中共の影響下にあると指摘されてもなお、いまだに彼らが日本の権力の中枢にいることから、中国の日本政府への影響がいかに強いことが分かる。
 日米同盟強化を謳いつつも、経済界の後押しもあって、中共に忖度し屈服した日本のどっちつかずの態度では、東アジアの安全保障を担うアメリカが日本人など見放すことは誰が見ても明らかだ。

 それでもこの国の自称保守派と来たら、自民党が推進する構造改革グローバル化政策、親中体制など、徹底的に自滅的な政策をを礼賛するのだから、もう訳がわからない。まさに認知的不協和というものを目の前で見ている気がしてならない。 
「安倍さんなら、きっと、いいことをしているはずだ」
 事実は憲政史上、最も実質賃金を下げ、少子化を促進させて、デフレを長期化させたのが、安倍政権なのだが…。この国ではまともな批評家なり言論人なりは地下に潜るしかなさそうだ。
 ただ、日本人としてこのコロナ騒ぎで歓迎することもある。流通路線から中国を排除する口実ができたこと。そして世界の国々の国境を引き下げてヒト•モノ•金の移動の自由を是としてきたグローバリズムの欺瞞が明るみに出たことは評価すべきところだろう。
 それでも新聞紙面やテレビなどでは未だにグローバル化は礼賛され、水道や農業をはじめとする一次産業の協同組合などの公的資産は民営化され外資に奪われていく、あらゆる構造改革は推進される。そして日本の政治家は、目の前に広がる日本人の貧困を無視してでも国際金融資本に忖度せねば、当選すらしないし、それどころか、彼らに配慮しなくてはその命すら危うい状況だ。
 果たしてこれでどこに言論の自由があろうか?

 こんなにも閉塞感に覆われているのに、人々は、楽しさしかない底の浅い享楽に興じては、SNSという架空の世界に耽溺して見せかけの充実を装う。時折、政治的な態度を示すとなれば、大阪都構想という明らかに詐欺としかいいようのない政策への小児病的な賛同というわけだからさすがの私も笑えない。
 さて、この危機的な状態に対して、物書きの端くれで、毎日上司のムカつく顔を見ながら、卑しく小銭稼ぎをする私に何ができるであろうかと考えてみるのだが、何も妙案は浮かばない。ただ確かなのは、昔なら当たり前だった幸福が遠い夢物語となっていくことだろう。つまりこれまで以上に日本人は精神的にも肉体的にも物質的にも貧しくなっていく。それでも私は生きるしかないし、この状況の中で足掻くより他はない。
 未来に絶望しかないと分かってても生きる、これが私が生きている今の時代、このことに気づいている人はどれくらい居ることだろう。
 そして、今日もこの国では大手新聞の一面を飾るのは、デジタル化されて非人間的で無機的な世界への無邪気な憧憬ばかりで、一切未来への危惧なるものは掲載されておらず、飽きもせずに「コロナは怖い」と、感染者数を大きな見出しで書いては読者を不用意に煽っている。